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2010/08/31 Tue 22:04



  ベトナム、タイ、ラオス視察(8月24日から31日)


8月24日

 朝7時で上野駅に着き日暮里から成田空港へ、今日から衆議院ベトナム・タイ・及びラオス農林水産事情調査である。9時から空港で調査団結成式、調査団は次の通りである。
     団長 筒井信隆 (民主党)農林水産常任委員長
     団員 森本哲生 (民主党)農林水産筆頭理事
        梶原康弘  (民主党) 農林水産常任委員
         宮腰光寛 (自民党) 農林水産筆頭理事
         北村誠吾 (自民党) 農林水産常任委員
         吉泉秀男 (社民党) 農林水産常任委員
               以上6名、他議会事務局
 香港経由でベトナム首都ハノイへ 時差2時間である。台風5号の関係で雨降りである。ベトナムは2年前顧問している(株)GMの関係で訪れ2度目の訪問である。 

ベトナムにおけるODA事業概要説明

 1991年カンボジア紛争和平協定の翌年から再開、資金協力(円借款)でインフラ整備、技術協力により人材育成と政策・制度改善を重点的に支援活動始まる。資金は2009年度で1456億円になっている。大手ゼネコン中心に日本企業の受注率は6割を超えている。概要説明受けた後、ICA主催の夕食会である。日程は前後しているが、経済産業省、電力会社等が訪れ原子力発電関係でベトナム訪問しており、その対応もありJICA職員忙しい。台風5号が明日はハノイ上陸と予想され心配である。
 
8月25日

 宿泊は日航ホテルである。日本人の客が多い。バイキングで日本と変わらず。現地米のご飯も食べたがおいしい。心配した台風5号は南側を通過し影響なし。ホテルを8時で出発し農村地域で実践している酪農プロジェクト視察に向かう。バスで片道1時間半、バスの中で農業事情の説明を受ける。
 「ベトナムにおける農業・農村開発」
ベトナム戦争、中越戦争、カンボジア紛争と悲惨な歴史、南北統一後、1981年合作社をつくり農業生産体制を集団化したが、生産資材の共有化により農民の生産意欲が減退し飢餓状態に陥る。脱集団化とドイモイ政策により、1989年農家への土地再配分実施し生産量の拡大図る。農家の所有面積は北部の紅河デルタ地域平均0,2ha南部メコンデルタ地域0,5haと小規模である。米の生産量は土地配分以降伸び、輸出量が大幅に伸びている。しかし、耕作面積は少なく所得は低い。耕作道、悪い水利状況など土地改良事業が求められている。
 
   「中小規模酪農生産技術改善計画プロジェクト」

80%以上輸入(ニュージーランド、中国)に頼っている牛乳の生産拡大をめざし、「国家酪農振興計画」を策定しハノイ北部バビー地域に「酪農技術普及ステーション」を設立する。悲惨な戦争が終了し20年経過、ベトナム平均年齢27歳、酪農主は元軍人であり、入植し1頭から始める。私の地元、幕末から明治にかけ、戦いに破れた庄内藩士が「剣から鍬に持ちかえ開墾し武士から農家に転じた。」その想いと重なる。乳牛、豚、鶏飼育している専業畜産農家訪問する。専業と言っても数頭である。家族経営であり住宅の隣に畜舎がある。口蹄疫が大きな問題になっているがベトナムは口蹄疫は普通の病気であると言う。日本は長期専門家を派遣してきており、2006年から5年間改善プロジェクトを立ち上げ、指導にあたり生産量も大きく増え成果を挙げている。又、多く若手が伸びてきている。研究所にいた現地の若い女性もプロジェクトの一員であり受精、獣医もこなす畜産経営者であると聞いて驚かされる。米農家、勤め人より所得は多い。

ファット農業農村開発大臣と意見交換

多忙の中、大臣、国際協力部長他5名が時間をさいて歓迎受け意見交換会、ベトナムが飢餓状態に陥った時期を経験している大臣は主食のコメに対する思いは強い。農地面積約940万haうち水田は約430万ha農業人口は2200万人で43%を占めている。貴重な農地を有効に使い、生産、所得を増やす為に近代化、土地改良等についてこれまでの技術指導に感謝しながらもこれからもお願いしたい旨を述べられる。日本の昭和30年代の農業事情と似ておりこれから機械化、捕縄整備が進んでくると思うし、大きく発展してくる。

市内見学

雨も上がりホーチミン廟参拝、オペラ劇場など市内を1時間バスで観光、交通の足はバイク、事故も多く2年前からヘルメット着用義務化される。日本に似た家電商店通り、古本屋通りなど立ち並び平日にも関わらずにぎやかで混雑している。散策できないのが残念であった。

大使主催の夕食会 

 1000年の歴史をもつベトナム、戦争終って20年、これから大きく発展期待される国である。坂場大使は3年を経過している。社会主義国でも不動産売買(賃借権)が急激に伸びており高級マンションが立ち並ぶ。しかし、山、原野が中国、韓国などの企業から所得され、国防上大きな問題になり国会でも取り上げられ、これからの動向が注目される。戦争未亡人の補償等についても、日本と同じ進め方であるが、正式な夫婦には適用なっているが適用されている人は少ない。これは戸籍制度などの問題で当時届け出しなく戸籍上認知されてない夫婦が多くいた為でもある。坂場大使は歴史を紐解きながら日本とベトナムとの関係を勉強しており、多くの話題を提供してくれた。又、ベトナムの稲作は圃場整備や日本の技術が欠かせない、その為に多くの研修生派遣したい旨を力説し私達も協力していく事を約す。2時間の時間はあっという間に過ぎる。

8月26日

 ハノイからホーチミンへ移動
昨日遅く留守電なっていた従妹に電話する、入院している叔父さん危篤状態との事、直ぐに妻に対応頼む。参った。持ち直してくれるのを待つしかない。ホテル7時半出発、空港へ向かうバスの中で民主党小沢前幹事長党首選出馬のニュース流れる。詳しい情報掴もうと各自騒がしい。
2時間要してホーチミン市へ、ベトナムで一番大きい都市である。交通はバイク、約700万人人口で400万台のバイク、間もなく地下鉄が開通する、鉄道はハノイまで特急で30時間、新幹線計画で開通すると10時間である。ベトナム戦争で爆撃を受けず街中における被害は少なかった。昼食はホテル内の日本食で済ませる。
チェクインし、市内見学

市民の台所ベンタン市場視察、日本のコメも売れれている。冷凍食品はなく魚、肉も市民は毎日の食品を買い調理する。観光客も混じり活気あるが臭いがきつい。

南ベトナム政権時代の大統領官邸であった統一会堂視察、1975年4月30日解放軍の戦車が官邸の鉄柵を破って無血入場を果たしベトナム戦争が終結した。その戦車が展示されている。
時間なく各国の領事館、人民委員会庁舎、中央郵便局などバスの中で見て廻る。

ホーチミン総領事館夕食会

 ホーチミン日本商工会議所副会長の島崎丸紅所長が同席する予定であったが急用にて欠席、残念である。現在ホーチミン日本商工会の会員は453社を数え準会員35社を加えると500社に近い。ダナンにも日本商工会議所が出来、活動が活発、村田首席領事はベトナム専門官でもありベトナム駐在は長い。それだけに詳しい。ホーチミンには美味しくてきれいな日本料理店が多い。今日の会場も日本料理である。進出企業が増えるのと同じように増えている。物価はハノイと比べて高いと言う。「飲み放題。食い放題」の店も出てきてきている。

8月27日

 朝8時半出発、メコン地帯へ、1時間半要し、バスの中でJICAより概要説明受ける。耕作面積0,5haと一番多いが、ホーチミン市と離れ他の所得格差が拡がっている。輸出米はほとんどこの地域の米であるが、圃場整備、土地改良遅れ機械化も遅れている。最近日本のクボタが進出し小型トラクターが入ってきている。

ビナライ精米センター視察

 精米所は大小合わせると100カ所以上ある。視察したビナライ  精米センターは一度精米した米を更に精米し輸出米にするセンターであり、機械は日本の「サタケ」で石など不純物選別し国内では一番のセンターである。裏がメコン川で船で港まで運ぶ。アメリカはじめ世界各国に輸出している。国家戦略でアフリカ、ヨーロッパにも輸出している。もう既にジャポニカ米も生産されている。

果物研究所

ベトナムは社会経済5カ年計画で米作から所得の向上が期待される果樹栽培を重点戦略とし強化し、ドラゴンフルーツ新品種開発等成果を挙げている。しかし病害対策や栽培技術について知識が薄く果樹栽培に失敗する農民も多い。日本は20009年から5年間の「農業手法、普及システム改善プロジェクト」を立ち上げ協力指導行っている。耕地面積は日本の10倍308万ha、米プラス果樹ではなく果樹農家専門を育成し成果を挙げてきている。開発したドラゴンフルーツは輸出果樹の代表格になっているし、畜産農家と同じように若手果樹専門農家が育ってきている。

ベトナムでお世話になった方々とお別れ夕食をとり、ホーチミンを出発しバンコクへ、初めての訪問である。成田空港以上の広さで  24時間開港、夜11時過ぎ着、バンコクの夜景見ながらホテルへ12時廻る。

8月28日

 土曜日であり官公庁は休みである。タイの米産地は北部のチエンマイ、しかし遠く、近くの南部地方を視察、それでも1時間半要す
農村風景は地元と似ている。稲作研究所訪問、浮き米には驚いた。背丈が5,5メートル以上にもなる。沼のような水田が多くあり「浮き米」はその水田用である。無農薬、無化学肥料栽培であり、この地域の3割は浮き米である。病害も少ない。他の米より価格は高いと思ったが、米が硬く逆に低いと聞く。研究所では食味等について研究しているが、休みであり意見交換ができなかったのが残念であった。

世界遺産アユタヤ見学

 土曜日で市民、観光客で混雑している。屋台店立ち並び日本と同じ、アユダヤはタイ王朝の古都であり、ナーラーイ王朝時代はラオス、カンボジア、ミヤンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていたが、ビルマとの戦いで2回負け消滅する。アユダヤ王朝の遺跡、ブラ・スイー・サンペット寺院、マハー・タート寺院など見学、時間なく歴史研学センターに行けなかったのは心残り

タイ味の素(株)ノンケー工場視察

 バンコクに進出し50年経過、ノンケー工場は平成17年設立される。敷地は後楽園球場が6つも入るほど広い敷地、クックドウーなど日本向けの家庭用中華調味料、タイ国内向けのロッデイー、そして缶コーヒー、カルピスなどを生産し従業員は約1200名、内日本社員は3人だけである。ベトナムだけで6工場あり、味の素は世界各国に進出している。50年前からアジアの拠点としてバンコクに進出、そして現地社員に技術指導など教育し、缶コーヒーは国内7割、調味料は90%以上の国民に飲食され大きく発展している事に目を見張る。時間があればここまで成長してきたノウハウを聞きたいと思う。

盤谷日本人商工会議所夕食会

 1954年設立され会員は1313社をになり外国でもっとも多い会員をもつ商工会議所になっている。夕食会にはタイ味の素代表取締役はじめ農林水産食品部会役員の方々やジェトロ事務局等出席され「日本食文化をバンコク拠点にしアジア全体に広げていく。」と各社長の意気込む、素晴らしい夢を現実にしていく努力、自分にとって大変勉強になる時間であった。特に伊勢丹デパートはジェトロと協力しながら年6回の日本全国味フェアーを開催している。12月は東北フェアーを開催し山形県も「りんご」を出品している。しかし各県の積極姿勢、売込みが必要とジェトロ事務局は言う。7万以上の日本人旅行者3万人以上そして富裕層に的を絞り込んだ各県の戦略が足りないと・・・・

6月29日

 日曜日で移動日である。9時半ホテル出発しバンコクから1時間半のフライトでラオス首都ビエンチャンに、休みに関わらず大森公使たちが出迎えに来てくれる。大森公使からラオスの概要説明受け遅い昼食。ラオスは中国はじめ5カ国から囲まれ国土の8割が山地であり耕地は100万ha、4,9%(日本 %)と少ないが国内GTPの約32㌫を占め総人口の75%が農林水産業に従事している。 米作は天水依存で生産技術は遅れている。チエクイン後、書記官の案内で国会議事堂、歴史博物館、凱旋門、ダート・ルアン、市場など見学する。

大使主催夕食会

社会主義国でありベトナムと同じく中央統制経済から市場経済へと転換し近年は8%の成長率を達成してきている。2020年まで後発開発途上国かとの脱却を国家目標に掲げている。日本の企業も61社進出し日本語学校設立以降学ぶ若者が増えてきている。ラオスとの二国間援助においては日本がトップである。食事を挟み大使との懇談は色んな角度から話題がはずむ。食糧事情、、近年中国の進出が積極的になってきておること、地形を活かし水力発電に力をいれ電力をベトナムに供給しているが、最近の原子力発電の動き等、電力事情変化を注視していることなど、予定の2時間あっという間に過ぎる。ラオス料理、もち系が強い米を食しながら・・・・・・ 
 
8月30日

 危篤状態であった叔父さんが28日他界し今日が葬儀である。ホテルの外からお別れをする。朝9時出発する。ビエンチャンの街、そして農村風景は地元と似ておりゆっくりする。

「稲趣子増殖普及システム改善計画プロジェクト」視察、

コメは主食であるが、一部の地域では自給ができていない現状の中で、人口増など需要は増える。しかし、国及び県には種子増殖・普及の管理システムが無い為に。需要把握できず生産計画が立てられない状況にある。プロジェクトは17県のうち3県を対象に国、県の役割を明確にしながら農家の集団つくりを指導している。4年を経過し成果を挙げてきているが、農家にとっては収入が少なく種子を購入する力が無い状況にもある。ラオスには1000品種以上もあるがもち系が多い。プロジェクト前は漫然と稲を栽培するだけであったが、原種生産の重要性を理解し国、県の指導も発揮され栽培、選別も改善されてきている。これからは対象していない県に対する普及活動など課題は多い


シタヘン農林大臣表敬訪問、意見交換

大臣は農林省総括管理者から副大臣、4年前から大臣と農林一筋歩んできた大臣である。有望な輸出一次産品が少なく、米作中心である。天水依存から生産性の高い技術をめざし日本の技術を高く評価し研修生も日本に派遣し指導頂いていることに感謝の言葉述べられる。田植えから収穫まですべてが手作業であり農家の現状を的確に把握なされており、質問にも明快な答弁が帰ってくる。別れの時、力を入れている産地コーヒーをお土産に頂く。

専門官との昼食会

 農林水産関係の技術プログラム、7事業が進み、これから3事業が準備されている。森林関係のプロジェクトが多い。視察で時間が少なかったが、地元農家の理解を得る為の専門員の苦労話しも聞くことができた、専門員の努力に敬意を表すると共に、これからの活動に期待したい。ラオスもう1泊し視察続けたいと思うが昼食後バンコクへ
伊勢丹デパート「北海道フェアー」視察

 商工会議所夕食会でお誘い受けた伊勢丹「北海道フェアー」に空港からまっすぐ向かう。支店長他スタッフ待っていて説明受ける。今回は「ほくれん」が中心となり実現する。北海道から9人の生産者達が売り込みに来ていた。日本より価格は高いが持ち込んだ品物の8割以上は売れると言う。出展者は当然売れ残るというリスクは背負うが好調である、フェアーを成功するには事前の企画、そして生産者の心構えがポイントであると言う。12月は東北フェアーを準備しているが、山形県からは「りんご」の出展。帰ったら事情説明受けることにする。又、伊勢丹では日本の商品を常設しこれも価格は高いが好調に売れていると聞き驚かされる。

最後の晩餐会

 解団式を兼ねた夕食会、それぞれの思いを夜遅くまで語り合う。臨時国会9月中旬以降開催されるが、農林水産常任委員に再任され今回の研修を活かし熱い討論を交わす事を約す。

8月31日

 朝5時で荷物を出し、6時半ホテル出発し成田へ。バンコクのテックは厳しい。ベルトを外し靴を脱いで検査である。ラオスから買ってきた小瓶の「ラオラオ酒」「はちみつ」が手荷物検査でアウト、手荷物でなければ通るのだが・・・・・事情を説明し手荷物でなくバックに入れてもらうことでセーフ。
無事成田に着きリムジンバスで羽田空港へ、最終便で帰省、研修報告は後日・・・・・・やはりくたびれた。自宅でゆっくり休む。
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